発達障害児のための個別学習塾「寺子屋ゆず」2024年4月リニューアルOPEN!

ゆずのおっちゃんが数年かけて、神戸市総合療育センターから「訓練」という言葉を排除した想い出。「行動すれば、何かは変わる」「味方はきっと側にいる」

ゆずの新人研修の講義スライドより

ゆずのおっちゃんが、神戸市総合療育センター勤務時代に、成し遂げた最大の仕事があります。

自分で最大の仕事、とか言う。(爆)

それは、開所当初、療育センター内を飛び交っていた「訓練」という言葉を、療育センターから駆逐したことです。

それ以外は、大した仕事をしてない(爆)。

所詮、公務員。世間知らず。


言語聴覚療法、作業療法、理学療法などのいわゆるセラピーのことを「訓練」と呼ぶ方も多いと思いますが、これは間違った認識です。

また、セラピストの方の中にも「訓練」と言う方もいますが、多分無意識。

そんないちいち言葉の意味なんて、考えないのでしょう。


おっちゃんは、シンガーソングライターですから、言葉にはうるさい(曲よりも詞を先に作るタイプ)。



さて、話を戻しますが、開所当初の療育センター職員もご多分に漏れず、「訓練」「くんれん」と呼んでいました。

なぜ、訓練という言葉を療育センター内で使っていたかというのには、理由があります。

それを説明するために、少し療育センターの内情について、説明します(裏情報ね)。


実は、神戸市総合療育センターは、神戸市職員のセラピストよりも、外部委託した「派遣セラピスト」が多数を占めています。


ここでさらに横道にそれますが、もともと神戸市役所というところは「外部委託」を行うことが得意な役所です。

その証拠に、いわゆる「外郭団体」(例:公益財団法人・一般財団法人など)の数がものすごく多いことで有名です(神戸高速鉄道とかもそうですね)。
※一時それが問題になり、かなりの削減を行いましたが。

市役所の役割をできるだけ小さくし、業務を外郭団体に任せるという意味では、ある意味先進的なやり方です。

昔は「株式会社神戸市役所」と言われたくらい、こういった上手いやり方(独自路線)で進んできたのが神戸市役所なのです(震災で一気に力がなくなって、ゆずのおっちゃんも震災復興のアオリをくらって減給や昇給がない状態が長年続きました。公務員の旨味のない時期を過ごしました)。

さて、この考え方が、療育センターを作るときにも生かされ、「療育は外部に委託した方がよくね?」ということから、外来セラピー部門を外部委託先におまかせする形を取ったのです(ゆずのおっちゃんは、総合療育センターが開所する時にいましたので、その事情について認識間違いはありません)。


要は、市職員で構成せず、外部委託先からセラピストを都合つけてもらう、という方針です。

※ここだけの話ですが、これが神戸市の療育が機能していない(他都市に遅れを取っている)要因の一つです。なぜなら外部委託先は、療育センターを「新人スタッフの研修の場」として、若いセラピストを多数送り込んできたからです(療育センターはいいように利用されていたのです。当時、委託先のセラピストがはっきりとおっしゃっていたので間違いありません。)。


外部委託するのは、経営という視点からは、うまいやり方ではあるのですが、一方で問題があります。

それは、丸投げに近い形になるので、外部委託先の方針を丸呑みする、ということです。

ゆずのおっちゃんが療育センターのセラピーをあまりお勧めしない理由の一つがこれです。




で、「訓練」の話。

この外部委託先の方(上司の方)が、セラピーのことを「訓練」と呼んでいたのです。

さらに、セラピストのことを「訓練士」とも呼んでいたのです。

セラピーを訓練と呼ぶのは、100歩譲ってまだ分かる。

セラピストを「訓練士」だと???

もう、あほかと。


いえ。ゆずのおっちゃんは、言葉狩りをしているのではないのです。

これには実は深い理由があるのです。

それも、子どもの尊厳にかかわることなのです。

分かりやすく説明しますね。


訓練という言葉から、どんなイメージを持ちますか?

「避難訓練」「防災訓練」「盲導犬訓練」などです。

要は「繰り返し行うことで、成功率やスピードを早めていくために行う」ことが訓練です。


子どもの療育は、お子さんの発達特性を評価し、その子に合った手立てを考え、実践し、違っていたら修正し、その子が自信を持って生きていくための道筋を照らすもの、であるべきです。

もし、訓練という字義通りにとらえてしまうと、「繰り返しさせればいい」「何度もやって、成功に近づけさせる」「スピードをもっと早く!」といったものになってしまいます。

世の中には、「できないことを繰り返しさせる」という療育が未だありますが、これは「訓練」の考え方なのです。

できないことを繰り返しさせれば上手くできる、と思っておられる方、その考え方は間違っています。

まず上手く行きません。医学的視点で見ても、それは間違った方法ですし、大切な幼児期をそのように無駄に過ごしてしまい「しまった!」と後悔されている事例をイヤというほど見てきましたからこそ、自信を持って間違っている!と言えます。


また、訓練という言葉の意味には、「褒美を与えて、上手くコントロールする」(例:盲導犬訓練)という意味もあります。

褒美を与えるって、子どもは、犬かっ!!

褒美を与えないと、効果を引き出せないのか?素人か?!

おっちゃんは、声を大にして言いたい!


それに加えて、外部委託先の上司の方の言葉「訓練士」。

子どもは盲導犬かっ!訓練士って、そうか!セラピストは、子どもを調教するんかっ!

このブログではいつも書いていますが、子どもには権利があります(子どもの権利条約)。

飼いならされる権利なんて、聞いたこと無い。


「いや、ゆずのおっちゃんよ。それは言葉狩りではないか?」と思った方。

じゃあ、あなたは、障害という言葉を「障がい」と書くことも、言葉狩りだ!と言いますか?

ね、言葉狩りじゃないでしょう?


言葉は無意識であることが多いからこそ、しらずしらずのうちに人を傷つけることがあるのです。

その反対に、一つの言葉が勇気を与えたり、生きるチカラにつながったりします。

少なくとも療育を提供している私たちは、もっと言葉を大切にするべきだと思っています。

※ちなみにゆずでは障害を「障がい」とか、「障碍」という言葉で表記していません。それにはれっきとした理由があるのですが、それはまたの機会に書くね。


閑話休題。


訓練士、という言葉は、セラピストにも失礼ですよ。

何やねん、訓練士って。

そんな言葉、セラピストの世界で、聞いたこともない。

訓練させる人。

ムチでシバいて子どもに言うことを聞かせるんか?


乗馬では、馬に舐められないように、足でカンカンカンッと馬を蹴飛ばして怖がらせることもある、と言語聴覚士むぎちょこが言っていたけど、それと同じかっ!

子どもは馬か!そう言えば「子どもに舐められないように怖がらせないといけない」と豪語している療育支援者もいるけど、そうか!子どもは馬やと思っていたんやな!


それともあれか?SMプレイか?(爆)

SMプレイ自体は否定せんけれど、療育実践の中でSMプレイはおかしいやろ

健全な大人が合意のもとにするならいいけど、子どもにSMプレイはあかんやろ。幼児虐待やん



で、当時の療育センターの話に戻します。

ゆずのおっちゃんは、「神戸市総合療育センターから、訓練・訓練士という言葉を撲滅する会」を立ち上げたのです。

もちろん、おっちゃん一人だけでね(爆)。

まずは、当時の主査(係長級)の方に、「セラピーと言う言葉を使っていきたい」と申し出たのです。

主査は、優しくて、穏やかで、話をきちんと聞いてくれる方(療育センターでおっちゃんが唯一尊敬していた方)だったので、「なるほどね。その方がいいかもね」と協力してくれたのでした。

もちろん、おっちゃんも、「訓練」に変わる言葉として「セラピー」を、「訓練士」に変えて「セラピスト」をみんなが使ってくれるよう、まずはおっちゃんから、という気持ちで一年以上の時間をかけて取り組んでいきました。


やがて「訓練士さんが・・・」と言ってた事務の方が、「セラピストさんが」という言葉に変わったり、いろいろな記録用紙(書式)にも、そして会議の場でも「セラピー」「セラピスト」といった言葉に置き換わっていきました。

今では、訓練士なんて言葉は歴史の彼方に消え去ってしまっています(多分今もそうだと思う)。


ちなみに、おっちゃんは、この時の主査の「部下の言いたいことにきちんと耳を傾け、たしかに、と思えることは、積極的に採用していく」という対応を真似して、今のゆずの運営にも活かしています(この上司は、案の定当時よりさらに出世されています)。

ゆずは、スタッフの誰が発信しても、(上司・部下限らず)頭から否定せず、「どうしてそう思った?」と誰もが、きちんと耳を傾ける社風です。その原体験が、おっちゃんの療育センターでの経験なのです。



当時を振り返って、「なぜ訓練という言葉に熱くなったのか?」と自問自答しても、よく分かりません。

ただ、「子どもは、子どもとして尊重されるべき」という思いが強くあったことは、間違いありません。

※ちなみに、おっちゃんは人権団体のようなものとは無縁です。そういうのは苦手なので、念の為。



もしかしたら、それが行動の源だったのかなあとも思いますが、やっぱり明確な理由は分かりません。

おっちゃんの特性かな。多分そう。

とにかく、子どもを力で支配する人が大嫌いなんです。

叱る療育も、お局様も大嫌いなのです。



でもこの経験で学んだことがあります。

それは、「たった一人でも、何かを変えることはできる」「それは、行動することから始まる」ということ。

ゆずに通うお子さん、そして保護者の方に対しても、「行動すれば、何かは変わる」「たった一人だと思っていても、味方はきっと近くにいる」ということを、おっちゃんの経験をもとに、これからも伝えていきたいと思います。


ゆずも、おっちゃんが「公的療育センターでは限界がある。本当に必要とされる療育を実践しよう!」と決心し、一人で立ち上げました。

そこに賛同してくれた人たちが少しずつ集まって、やがて合わない人が離脱していき、また想いのある方が入職し、といったことを繰り返すうちに、今では療育業界でちょっとした有名事業所になることができました(コンサルティングや見学のご依頼をたくさんいただきます)。


でもこれは、おっちゃんが一人でなし得たものではないんですよね。

ゆずの仲間たちが、一緒に作り上げてくれたからこそ、今のゆずがあるんですよね。


だからこそ、ゆずに通ってくれている子どもたちに伝えたいことがあります。

迷ったら、『やってみる』方を選べ!

迷ったら、『面白い』方を選べ!

必ず一緒にやってくれる人がいます。

必ず一緒に面白がってくれる人がいます。


そんなこんなで、おっちゃんがたった一人で立ち上げたゆずは、理念に賛同して集まってくれた仲間たちの勇気と元気と活気にあふれた事業所になりました。


ちなみに、ゆずのホームページはトップページに、全スタッフの紹介コーナーがあります。

スタッフの顔は、似顔絵や動物のアイコンではなく、写真を掲載しています。

「たけし先生」みたいに、下の名前だけでなくフルネームで記載しています。

その理由は、スタッフはAさん、Bさんではなく、個性あふれる「人」だからです。

子どもを「一人の愛されるべき存在」と考えるゆずだからこそ、スタッフという存在も、おっちゃんにとって「大切な存在」なのです。


そんな「何でも面白がる」ゆずスタッフが頑張ってくれていることもあり、少しずつおっちゃんの居場所がなくなってきています(爆)。

いや、居場所がなくなっている、というのは不適切発言。

言い直します。「仲間たちは、新しいゆず(ゆず2.0)を作り始めてくれています」。


だから、おっちゃんは安心して、スナフキンのように、しばらく帰らない旅にでも出ようかと思っています。

今年度はゆずでするべき仕事があるので、それを全うしてからにするわ。


♪あめにぬれーたつー おさーびしーやまよー

我にかたれー 君のなみだのーそのわけをー

♪ゆき降りつむー おさーびしーやまよー

我にかたれー 君の強さのーそのわけをー

※スナフキンの歌


最後まで読んでくれて、ありがとう!

またね!