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【まだ療育で消耗してるの?】療育における保育の意義はとてつもなく大きい。色々な専門家の評価が詰まった保育を受けよう!

こんにちは。ゆずのおっちゃん(@seinosuke2013)です。

療育においてよく議論されることの一つに、「保育が大事か、セラピーが大事か」というものがあります。

療育センターなどでも、「保育士vsセラピストの戦い」が繰り広げられているところも多いです。

 

実は、そういうことはどうでもいいのです、というのが今回の記事の主題です。

ゆずでは、「子どもの発達支援の基本は、保育」と定めています。

もちろん、「セラピーなんてどうでもいい」と言っているのではありません。

 

そのあたりをもう少し掘り下げて書き、療育における保育の重要性についてもご紹介します。

「子どもは遊びを通して発達する」が大原則

発達は、どんな子どもにも見られる現象です。

その発達の基礎となっているのが、遊びです。

どんな子どもでも、遊びを通して発達します。

 

発達に遅れや凸凹がある子どもの場合、「上手く遊びに乗れない」「遊び方が分からない」だけで、遊びを通して発達することに変わりはありません。

なぜなら、遊びの中には、子どもがこれから成長し、活動が広がる時に必要になってくる能力を育てる要素が詰まっているからです。

 

例えば、ティッシュペーパーを次々と取り出す遊びを通して、指の巧緻性(器用さ)を学びます。これがボタンを止める、鉛筆で字を書くという活動につながります。

ブランコ遊びを通して、体性感覚(体の位置感覚や揺れなどに対応する能力)を養います。これが不安定な場所を歩くときのバランス能力につながります。

ボール投げをすることで、眼と手の協調性を養います。これが授業の板書をササッとノートに書き写す能力につながります。

 

このように、子どもは遊んでいるだけの感覚しかありませんが、遊びの中に発達要素が散りばめられているのです。

保育活動は目的を持った「遊ぶ」という活動

さて、保育活動はどうでしょうか。

私は仕事柄、多くの保育園で保育さん向けに子どもの発達に関する講義を行い、多くの保育場面を拝見し、また保育士さんと保育活動についてディスカッションします。

その中で実感するのは「保育園などの保育活動では、多くの保育士さんが念密な保育計画を立て、子どもの発達を促す取り組みを遊びを通して行っている」ということ。

 

つまり、保育活動は、目標達成のために遊びを上手く活用している、ということです。

目的を持った遊びをしているからこそ、「保育」と呼ばれるのであって、「子どもを預かっている状態」を指すのではありません。

一部、保育園での保育を「日中お預かり」と捉える人もいますが、それは間違っています。

「保育で遊ぶ」=「遊び呆ける」ではない!

上記のように、目的を持った遊びを展開するのが保育活動ですが、「保育で遊ぶ=適当に遊ばせている」ではないことが分かっていただけると思います。

 

例えば、私がアドバイザーとして、定期訪問している某保育所さんでは、設定保育の前に「今日の遊び内容と目的」の書式を見せてくださいます。

そこには、一つひとつの遊びに、方法・目的・効果などが書き込まれており、実践の後1時間ほどかけて、保育内容の振り返り、課題、目標の修正などを行っています。

 

こういった裏方的な活動を知れば、「保育=単に遊ぶ」ではない、ということが分かっていただけると思います。

療育における保育は、「単に遊んでいるだけ」「みんなで同じことをする」ではダメ

療育における保育は、どうあるべきでしょうか。

 

一般的に行われている保育と療育における保育で圧倒的に違うことがあります。

それは、子どもの特性によって、「遊びたくても遊べない」「その特性から遊びに関心が持てない。遊びに気付かない」「遊びに乗れない」などがあるということです。

 

例えば、視覚優位なお子さんの場合、好きなおもちゃで遊ぼうとしたとき、他のおもちゃが目に入ると(視覚優位ゆえに)そのおもちゃに気持ちが行ってしまうことがあります。

そうすると、いくら「このおもちゃで遊びたい」と思っていたとしても、視覚刺激に邪魔されて、遊べないままになってしまいます。

それは「飽きっぽい子ども」なのではありません。

子ども自身も困っているのです(視覚刺激に邪魔されるので)。

 

もしそうであるなら、他のおもちゃが目に入らないように部屋をシンプルに、余計なものを片付けるなどの配慮が必要になります。

つまり、一般的な保育活動よりも「より丁寧な関わり(配慮)がある保育活動」が求められます。

 

また、その特性は、お子さんによって違ってきますので、「みんなで同じことをする」保育には限界があります。

もちろん、「集団活動を経験させる」「他の子どもからの刺激を受ける」ということは大事な刺激です。

しかしそれこそ「地域の保育園や幼稚園」でも得られることです。

療育における保育では、より個別性を重視した活動に比重を置き、集団生活などの機会は地域の保育園や幼稚園、あるいは児童館などでの集まり、地域の子どもが集う場などを活用するのが良いでしょう。

 

もちろん地域社会でお子さんが受け入れられ、地域社会で生きていくために、療育機関のバックアップは必須です(それがないと地域社会での生活は限界があります)。

療育における保育では、子どもの特性をきちんと評価できることが大前提

さて、子どもに応じた課題設定をし、必要な配慮をした保育を展開するために、どのようなことが求められるでしょうか。

それは、保育において、子どもの特性をきちんと評価することです。

それも、保育士の主観ではなく、客観的な評価を実施することが求められます。

主観で評価し、実践につなげるから、「担当者が変わると方針が変わる」「担当者によって言うことが違う」といった問題が起こってくるのです。

 

ゆずでは、NCプログラムを用いて、保育士が客観的な評価を実施し、そこから見られる課題クリアに向けての保育プログラムを実施していますが、そういった評価法を用いない場合は、セラピストの出番です。

言語聴覚士や作業療法士、理学療法士といった療育セラピストのそれぞれが行った評価を保育に伝え、保育プログラムをともに検討し、効果について再度評価する、という「連携」が図られるなら、保育が評価する必要はなくなります。

保育とセラピーの連携とは、本来そういう意味があるのです。

「保育vsセラピー」は現場担当者の勝手な理論だから振り回されるな!

保育士とセラピストが連携を取ればいいだけの話、と簡単に書きましたが、それが出来ている療育機関の方が少ないかも知れないですね。

私の勤務していた療育センターでも保育vsセラピーの構図はご多分に漏れず。

保育vsセラピーの理論になってしまって、子どもと保護者は蚊帳の外。

 

でもね、これは療育担当者の勝手な理論なんです。だから振り回されてはだめです。

保護者の方も一緒になって、「保育とセラピー、どっちが大事なんだろう?うーん・・・」と考える必要なんてないんです。

 

いいですか?

保育vsセラピーで揉めているということは、お子さんの方向を向いていないんですよ?

保護者(ママさん)の困りごとや心配ごとを第一に考えていないんですよ?

そんな自分たちだけの理論に巻き込まれなくていいのです。

 

え?そこにお世話になっているから、巻き込まれてしまう?

だったら、他を当たってください。

 

他に子どもと保護者の方を向いてくれる事業所はきっと他にあるはずです。

思い当たらないなら、ゆずへどうぞ。

まとめ

  • 子どもは遊びを通して発達します。
  • 保育活動は、目的を持った遊びの場であって、単に遊んでいるだけではありません。
  • 療育における保育では、みんなと同じことをするという保育活動では意味がありません。
  • 療育における保育では、お子さんの特性や課題・目標を客観的に評価することが必要です。
  • 保育が大切か、セラピーが大切か、というのは質問自体がナンセンスです。
  • 療育においては、保育の中にセラピストの視点や客観的な評価が入り、「いろいろな職種の意見が詰まった保育」が最強です。