「〇歳になったけど、言葉が出なくて」
「他の子は〇〇ができるのに、この子はできなくて」
ゆずに来られる保護者の方からのお悩みの一例です。
我が子のことを可愛いと思う反面、この先困るんじゃないかという心配、他の子は〇〇なのに…という焦り、いろいろな気持ちの葛藤があっての悩みなのだと思います。
無我夢中で我が子を想い、悩まれる姿を見て、わたしは頭が下がる思いと同時に、心の中でエールを送らずにはいられません。
中には、我が子を心配する気持ちから、心を鬼にして「厳しく躾けないと」と思ってらっしゃる方もいるのではと思います。
その先で、どうしたい?
できるようになった先でどうしたいか、どうなってほしいかを考えると、道筋が見えてくるのではないでしょうか。
例えば、
「今は話せない我が子が、話せるようになったら?」
「親子の他愛のない会話を楽しみたい」
あるいは
「コミュニケーションを通じて豊かな人生を送ってほしい」かもしれません。
だとすると、言葉を話せることは「手段」であって、「目的」ではありません。
言葉を話せるためにはいくつかの条件があって、それが揃えば自ずと出てきます。
話せないということは、まだその条件が揃ってないということです。
絵カードを見せて、「これはイヌ!ほら、言ってごらん!」
喉が渇いてお茶を指さす子に、「”お茶ちょうだい”って言ってごらん!」と
心を鬼にして厳しく関わることが、逆効果になることだって少なくありません。
そんなことがしょっちゅうあると、「人と関わるの、嫌だな」「もう、自分から発信をするのはやめておこう」となってしまいます。
自己肯定感も下がる一方です。
そうなると、本末転倒ですよね。
乳幼児期の今、本当に必要なことは?
先ほど触れた「自己肯定感」という言葉が、ここ十数年で広く認知されるようになりました。
ありのままの自分を受け入れ、自分は自分でいいと思える感覚のことです。
乳幼児期どのように過ごしたかによって、自己肯定感の育ち方、ひいてはその人の人生を左右します。
「できないことができるようになる」「苦手を克服する」ことが、自己肯定感を育てるのではありません。(もちろん、そういった体験は人生においてあっていいし、そういった体験によって、自信がつくこともあるでしょう)
「苦手なことがある自分」も受け入れること(乳幼児期においては、そんな自分を身近な大人に受け入れてもらうこと)が、自己肯定感において大きなポイントとなります。
ゆずの療育において、「苦手なことを訓練してできるようにする」「厳しく躾ける」といったことが御法度なのは、そのような関わりが子どもの自己肯定感を下げてしまいかねないからです(もちろん、得意なことや苦手なこと、その理由や根拠は何か、という評価はどのお子さんにも実施します)。
評価をもとに遊びプログラムを考えますが、お子さんの自己肯定感や主体性を大切に、といった視点は忘れないようにしています。
仮に大人になって苦手なことがあったとしても、発達特性があって平均よりも不得意なことがあったとしても、自己肯定感が充分にある人は、なんだかんだ社会の中でうまくやっているものです。
終わりに
かくいう私も、幼稚園教諭をしていた時、子どもを叱ることもよくありました。
今思えば自分が未熟であったことに他ならないのですが、当時は「そうしなくちゃいけない」と思っていました。
でも、そうすればするほど、まるで自分と子ども達との歯車が噛み合わなくなっていくようでした。
ゆずに来て、「心を鬼にしなくても、子育ては楽しい」ことを知りました。
それは今まで自分を縛り付けていたものがフッと解かれるような感覚でした。
ゆずに来ているお子さんや保護者の方にも、同じような体験(フッと心が緩んで、「生きていて幸せ」と感じるような体験)をしてもらえるよう、今日もバージョンアップに励んでいます💡