「視覚支援に頼りすぎるとダメ」は本当か?〜「視覚支援なしでできるようにする」が間違っている理由〜

こんにちは。ゆず代表・理学療法士の西村猛です。

6年前にYouTubeで公開した「自閉症児への視覚支援を行う際に、気をつけておくべき3つのポイント」という動画に、先日ある保護者の方からコメントをいただきました。

内容を簡単にまとめると、

視覚優位の4歳のお子さんが、療育先で急に視覚支援で使っていたスケジュール(写真・イラスト)を全部外されたとのことでした。理由は「視覚支援に頼ると、自分で考えなくなるから」。
しかしその結果、お子さんは不安定になり、多動も増え、母子分離も難しくなってしまったそうです。

さて、これを読んで、皆さんはどう感じるでしょうか。

私は、正直かなり危険な支援だと思いました。

※今回のテーマについては、こちらの動画でも詳しくお話しています(6年前!むぎちょこ、若い!)。

【自閉症児への視覚支援を行う際に、気をつけておくべき3つのポイント】

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視覚支援の意味を、履き違えていませんか?

まず大前提として、視覚支援は「甘やかし」ではありません。

視覚支援は、見通しを持ち、安心して過ごし、混乱を減らし、自分で行動しやすくするための支援です。

つまり、「この支援があるから生活しやすくなる」というものなんですね。


ところが療育現場では時々、「視覚支援に頼りすぎるとダメ」「外さないと成長しない」「自分で考えられなくなる」という話があります。

もちろん間違った考え方です。


例えば、近視の人に対して、「眼鏡に頼りすぎると、自分の目で見られなくなるから外しましょう」と言うでしょうか?言いませんよね。

あるいは、心臓ペースメーカーを入れている人に、「ペースメーカーに頼らず、自分の心臓で頑張って動かしましょう」なんて言うでしょうか?これも言わないですよね。


なぜなら、「それがあるから、その人は安定して生活できている」からです。


視覚支援も、それと本質的には同じです。

視覚支援のツールがあるから落ち着ける。理解できる。自分で動ける。


なのに、そこを理解せずに「外すこと」を目的にしてしまうと、視覚支援そのものの意味を履き違えてしまうのです。

というか、それを「療育」と呼んでしまっていいのか、私は疑問です。

「支援を外す」が目的になると、根性論になる

もちろん、「言葉を育てたい」「柔軟性を育てたい」「自発性を育てたい」という視点は大切です。

ですが、それは「安心できる土台」があってこそ育つものです。

今回のお子さんのように、不安が強くなり、落ち着かなくなり、母子分離が難しくなっている時点でその方針は見直されるべきでしょう。


にもかかわらず、「慣れればできる」「自分で考えよう」「視覚支援を減らそう」だけを優先してしまうと、結果的に根性論になってしまいます。

そして厄介なのは、本人たちは根性論をしているつもりがないケースも多いことです。


視覚支援の意味を正しく理解していない。支援技術の考え方がズレている。だから、無意識のうちに「頑張らせる療育」に陥ってしまうのです。

さらに問題なのは、保護者の方も、「視覚支援は減らした方がいい」「頼らせてはいけない」「頑張らせないといけない」という考えを、「正しい療育観」として学んでしまうことです(ご質問いただいた方は、違和感を感じておられるので、方向としては間違った方ではありませんでしたが、盲信している保護者の方も結構おられます)。

すると、本来その子に必要だった視覚支援や環境調整を知らないまま、小学校へ進み、学年が上がるにつれて、「どうしてうまくいかないんだろう」「もっと頑張らせないといけないのかな」という方向へ進んでしまうことがあります。


本来必要なのは、視覚支援(それ以外のサポートも含む)をなくすことではありません。

「どうすれば、その子が力を発揮しやすくなるか」を考えることなのです。

本当に大事なのは、「どう減らすか」

ここは誤解してほしくないのですが、「一生ずっと同じ形の視覚支援を使い続ける」という話ではありません。

子どもの成長に応じて、見せ方を変えたり、量を調整したり、別の理解方法を育てたり、感覚統合を整えたり、成功体験や自信を積んだりすることで、結果的に視覚支援が減っていくことはあります。

でも、それは「いきなり外す」ことで起こるものではありません。

子どもの安心感や理解力、自信、感覚処理などを丁寧に整えた結果として、「必要量が減る」のです。

ここを履き違えてはいけません。

発達支援ゆずの考え方

ゆずでは、「その子が安心して、自分の力を発揮できる環境を作る」ことを大切にしています。

視覚支援も、「使わせないようにする」のではなく、「どう使うと、その子が生活しやすくなるか」を考えます。

そして必要なら、「どうすれば少しずつ減らしていけるか」を、子どもの状態を見ながら調整していきます。

それが療育です。


そして、もし私の子どもが、このような「視覚支援を外すこと」を優先する療育を受けていて、実際に不安定になっているにもかかわらず、「支援に頼りすぎるから」「自分で考えられなくなるから」という理由だけで支援を減らされ続けるのであれば、私はその療育は選びません。先生に「そうではなくて」と伝えることもしません。

なぜなら、視覚支援をそのように捉えているということは、他にも「よく知らずに療育を提供している」と考えられるからです(視覚支援だけ特別に知らない、なんてことはないからです)。

療育で大切なのは、「支援を外すこと」ではなく、「その子が安心して力を発揮できること」です。

支援者も保護者の方も、これを間違ってはいけません。

その療育、「子どもを見ていますか?」

療育は、「頑張らせる場所」ではありません。

「できないことをできるようにさせる場所」でもありません。


子どもが安心して、「やってみようかな」と思える環境を作る場所です。

視覚支援を外した結果、子どもが不安定になっている。それでもなお、「支援に頼りすぎるから」と言い続ける。

支援者として、大丈夫?
その療育、本当に子どもを見ていますか?

少なくともゆずでは、あり得ない話です。


いろいろな療育があって、何でもありだなあと実感した出来事でした。

コメントくださったお母さん、心中お察しいたします。

(余談)この方へのお返事

コメントありがとうございます。

本来、視覚支援は「安心して過ごせる」ためにあるものです。 なので、見通しがあることで落ち着けるお子さんに対して、全部外してしまう方針は、少し視覚支援の捉え方がズレていると思います。

もちろん言葉や自発性を育てる視点は大切ですが、不安が強い状態で進めると、根性論的な療育になってしまうこともあります。

もし相談しても改善が難しいようであれば、事業所を変えることも含めて考えてよいかもしれませんね。

本当はこんなふうにコメント返しをしたいです。

通い続けると、お子さんもお母さんもさらに疲弊すると思います。

こういった方針はプラスになることは何もありません。すぐに別の事業所を探すことをオススメします。

こっちが本音です笑。

コメントくださったお母さんが、この記事を見てくださっているといいなあ。

動画はこちら

【自閉症児への視覚支援を行う際に、気をつけておくべき3つのポイント】