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乳幼児健診や発達検査で言われる「様子を見ましょう」に隠された別の意味と目的

こんにちは。ゆずのおっちゃんです。

乳幼児健診や発達検査などで、「様子を見ましょう」と言われ、不安に感じておられる保護者の方も多いことと思います。

たしかに、「様子を見ましょう」だけだと、「いつまで?」「どのようになるまで?」など、今後の方向性が分からないため、不安になるなという方が無理な話だと思います。

そのため、私はいつも「専門家の人は、単に『様子を見ましょう』だけを言うのではなく、どこをどう見るのか、どうなったら相談したらいいのか、なども一緒に伝えるべき」だと考えています。


そういう意味では、専門家の「伝え方」に工夫がいるのですが、今回は反対に専門家の立場として、「様子を見ましょう」と言う発言をしている別の意味について、ご紹介したいと思います。

専門家が「様子を見ましょう」と言う別の意味

子どもの発達には非常に大きな個人差があります。

「発達の基準」というものが存在しますが、それにあまりとらわれる必要はありません。

基準はあくまで目安であり、子ども一人ひとりの成長は、その子どもならではのペースで進むものだからです。

私の臨床経験でも療育センター時代に「1歳半になっているのに、まだ歩かない」といった理由で、医師から「評価をしてください」と依頼を受けることがありました。

そういったお子さんに対して理学療法室で体の状態を評価してみると、「今は歩くための準備期間中なので、特別な介入は必要ない」と感じるケースも少なくありませんでした。

このような場合、保護者の方には次のようにお伝えしていました。

「しばらくすると自然に歩き始めると思いますので、まずは温かく見守ることを心がけてください。無理に歩かせようとしたり、お子さんの動きを制限したりすることは避けてくださいね。」

専門家が「様子を見ましょう」と伝えるとき、そこには「もう少しで次の発達段階に進むだろう」「自然なペースを尊重しよう」といった判断が含まれています。

上述のケースでは、「まもなく歩き出すだろうな」という見立てがあっての発言です。

もうすぐ歩き始める兆候が見られているので、このまま待っておけば歩くようになりますよ、という意味で「このまま様子を見ていてOKですよ」と伝えていたわけです。

そして、もう一つの理由としては、保護者の方に「お子さんを観察する力」を身につけてもらいたいという意図もあります。

様子を見る=よく観察する、ということですから、保護者の方がしっかりとお子さんの様子を捉えようとすることにつながります。

そうなると、歩きそうな気配を保護者の方も感じることができたりします(よく見ていると保護者の方でも分かることが多くあります)。


とはいえ、保護者の方にとってみれば「様子を見ましょう」と言われると、やはり不安を感じることもあるでしょう。

「それだけで本当に大丈夫なの?」


「何かできることがあるなら教えてほしい」

そういった気持ちが湧いてくるのは自然なことです。

ただし、第三者の客観的な視点では、「今は特に手を加えず、見守るだけで十分」というケースがあるのも事実です。

なぜなら、子どもの発達には時間が必要だからです。


反対に、なにか関わり方が必要な場合は、それを伝えてくれるはずです。

私なら「◯◯のような関わり方をしながら、様子を見てください。△△のような現象が見られたら、それは歩く前兆ですよ」といった伝え方をします。


特にそういった言われ方をしていない場合は、何もしなくても変化することが見えている状態にあるといえます。

余談ですが、本当は伝えるべきことがあるが、専門家のスキルが低くうまく説明できていない、ということもあります(専門家でもスキルの低い人(評価できない人)はいますので、「専門家=詳しい」とは言い切れません)。

標準の発達に過度にこだわることで、成長のチャンスを逃すこともある


子どもは失敗を繰り返しながら、少しずつスキルを習得していきます。

そのプロセスを焦らず見守ることが、結果的にお子さんの成長を促す大きな支えになるのです。


また、子どもの発達は一律ではありません。

保護者の方が「標準の発達」に過度にこだわることで、お子さんが持つその子ならではの成長の兆しを見逃してしまうこともあります。

例えば、「○歳までに△△ができていないといけない」と基準を重視しすぎると、「その子らしい発達」が見えにくくなり、無理にスピードを合わせようとしてしまうかもしれません。

逆に、発達が基準通りに進んでいるからといって、将来的な課題が全くないとは言い切れません。

今はうまく行っているようにみえて、将来的に問題が起こってくることが予測される事例は多くあります。


例えば、学習の遅れの予想などです。

目のコントロールに課題があるけれど、幼児期の遊びにおいては特に問題ないお子さんがいたとしましょう。

こいういったお子さんが小学校高学年位になると、「板書についていけない」ことから、学習の遅れが生じてくる事例はとても多くあります。

つまり、発達が標準的だから今後も問題は起こらないとは言い切れない、ということなのです。

このようなことから、標準を過度に意識したり、こだわることで、お子さんの今するべきことが見えなくなってしまうなど成長のチャンスを逃すことにもつながりかねませんので、注意が必要です。

温かく見守ることの重要性

子どもの発達は、教科書通りに進むものではありません。

それぞれの個性を尊重しながら、まずはお子さんの様子を観察してみてください。


焦らず、無理をせず、今の成長の瞬間をしっかりと見つめること。

それが、お子さんの未来にとって大きな力になるのです。


もちろん、「見守る」ということと「何も手立てを講じず、放置する」ということは違います。

見守るというのは、「今できる最善のことを準備した上で、待つ」ということです。


ですが、ここで問題が。

準備をしたら、結果が気になるのが人情です。

ある意味仕方がないですかね。


保護者の方だけではありません。

療育スタッフにも、支援者として自分の成長を待てない人がいます。

実にもったいない。

そんな簡単に分かるものではないのですが、せっかちな人はちょっとやって効果がないと、「やっぱり分からない」と投げ出してしまいます。

こらこら。おっちゃんは32年ほどこの仕事をしていますが、未だに分からないことだらけやぞ。。。

え?それはそれで問題ですって?!

げげ!

閑話休題。


保護者の方も今の取り組みの効果について結果が気になるところだと思いますが、結果は後から気づくものです。

「あ、そういえば◯◯が苦手だったけど、できるようになったなあ」など、「振り返った時に気付くもの」です。

緩やかな坂を登り続けて、ふと振り返ったら遠くに光る海が見えた。

お子さんの成長実感もこれと同じです。


今はまだ結果が出ていなくても、前を向いて、しっかりと地に足をつけて、歩き続けることが大切です。

歩き続けるとは、都度振り返り、違うと思ったらやり方を変えてみる、ということでもあります。


専門家が言う「温かく見守りましょう」という言葉の裏には、このような意図が隠されています(少なくとも私はそう思って発言しています)。

「煙に巻くのに便利な言葉として、見守るという言葉を適当に使っている専門家も中にはいるのでは?」と心配されるかもしれませんが、そういう専門家は滅多にいないですので安心していいです(たまにいますけどね笑)。

まとめ

「様子を見ましょう」というアドバイスがある時、その背景には専門家としての多くの観察と判断があります。

一見何もしないように思えるかもしれませんが、それは「見守る」ことが最も効果的なサポートだと考えてのことなのです。

このような言葉を聞かれたときは、焦らず、お子さんの個性やペースを尊重しながら、温かく見守ってあげてください。

それが、お子さんの成長を後押しする最善の方法です。

「今できる最大の準備を整えた上で、見守る」ことができれば、最高の結果につながるでしょう。