発達障害児のための個別学習塾「寺子屋ゆず」2024年4月リニューアルOPEN!

【まだ療育で消耗してるの?】相手の目線に立つことは、そんなに簡単なことじゃない。でもそれができないと子どもの「決定の自立」はいつまでも育たない

ああ!なるほど!

大人目線で見るか、子どもの視点に立って見るか、でモノの見え方は変わってきますね。

 

これって、療育の考え方にもつながることですよね。

「子どもにとって良いと考えられること」が必ずしも、本当に子どもにとっていいかどうかは分かりません。

また、そこに大人の理論や、思惑などが入ってしまうと、余計に大切なことが見えなくなってしまうこともあります。

 

もう一つ、療育(に限らずですが)において、療育スタッフが気をつけておくべきことは、「お子さんや保護者の方のためを思って・・・」という言葉を安易に使わないことです。

なぜなら、それが「本当にお子さんや保護者の方にとっていいかどうか分からない」からです。

 

押し付けになっているかも知れませんし、よかれということが反対に迷惑かも知れませんし、またお子さんや保護者の方の「決定の自立(自分のことを自分で決めていく力)」を邪魔していることになるかも知れないからです。

いい意味で立ち入らない。その代わり決定の自立がうまく進むように、最大の配慮を行う(環境設定も含めて)ことこそ、私たちが果たすべき役割ではないか、と思います。

ちなみにこれは、お子さんの知的能力として高いから決定できる、低いから決定できない、というものではありません。

自分で状況を判断することが難しいお子さんでも、何らかのサインは出ています(それを読み取るのが、療育スタッフです)。

 

そして、最も大事なこと。

それは、療育の主役は、担当スタッフではないということ。

お子さんでもありません。

お子さんとご家族」です。

子どもが「生きるって楽しい!」と思えること。保護者の方が「子育てってたのしい!」と思えることこそ、療育の意義があるのです。

 

そこに主体をおいた療育を行うことができれば、効果は最大のものになるでしょう。

反対に、「(あなたのためという大義名分のもと)大人がうまくコントロールすることで、お子さんのスキルを引き上げよう」といった療育を行っていると、お子さんはいつまでも「決定の自立」を学び取ることができないでしょう。