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ああ!なるほど!
大人目線で見るか、子どもの視点に立って見るか、でモノの見え方は変わってきますね。
これって、療育の考え方にもつながることですよね。
「子どもにとって良いと考えられること」が必ずしも、本当に子どもにとっていいかどうかは分かりません。
また、そこに大人の理論や、思惑などが入ってしまうと、余計に大切なことが見えなくなってしまうこともあります。
もう一つ、療育(に限らずですが)において、療育スタッフが気をつけておくべきことは、「お子さんや保護者の方のためを思って・・・」という言葉を安易に使わないことです。
なぜなら、それが「本当にお子さんや保護者の方にとっていいかどうか分からない」からです。
押し付けになっているかも知れませんし、よかれということが反対に迷惑かも知れませんし、またお子さんや保護者の方の「決定の自立(自分のことを自分で決めていく力)」を邪魔していることになるかも知れないからです。
いい意味で立ち入らない。その代わり決定の自立がうまく進むように、最大の配慮を行う(環境設定も含めて)ことこそ、私たちが果たすべき役割ではないか、と思います。
ちなみにこれは、お子さんの知的能力として高いから決定できる、低いから決定できない、というものではありません。
自分で状況を判断することが難しいお子さんでも、何らかのサインは出ています(それを読み取るのが、療育スタッフです)。
そして、最も大事なこと。
それは、療育の主役は、担当スタッフではないということ。
お子さんでもありません。
「お子さんとご家族」です。
子どもが「生きるって楽しい!」と思えること。保護者の方が「子育てってたのしい!」と思えることこそ、療育の意義があるのです。
そこに主体をおいた療育を行うことができれば、効果は最大のものになるでしょう。
反対に、「(あなたのためという大義名分のもと)大人がうまくコントロールすることで、お子さんのスキルを引き上げよう」といった療育を行っていると、お子さんはいつまでも「決定の自立」を学び取ることができないでしょう。